雑記 - 芥川賞。

 芥川賞作家に元ロックミュージシャンが二人も居る。一人はエコーズの辻仁成。もう一人はINU(いぬ)の町田康(INU在籍時の名は町田町蔵)。今期の芥川賞候補作「点滅・・・・・・」を書いた中原昌也も、かつて「暴力温泉芸者」という名でノイズミュージックをプレイしていた(数年前に、トラットリアレーベルの年越しライブで観ました)。

 第135回上半期の芥川賞受賞作が、例年通り文芸春秋に掲載されました。今月十日の発売ですから、もうお読みになった方も多いでしょう。受賞作である伊藤たかみ氏の「八月の路上に捨てる」を読了し、皆さんはどのような感想をお持ちになったでしょうか。私はとてもつまらなかった。

 芥川賞が発表されると「もう半年が経ったのか」と思う。最近は、特にそう思う。何故なら、受賞作を文芸春秋で読んでしまうから。以前はと言うと、快適にじっくりと読みたい私は、粗雑な紙で先に読むのを嫌い、装丁された本が世に出るのを待った。最近では文芸春秋で間に合わせている。だから、以前よりハッキリと「もう半年経ったのか」と感じるのです。

 すでにお察しの方もおられると思いますが、今のように早く作品を読むようになったのは、受賞作を楽しみにしているからではありません。粗雑な紙で間に合うからです。近頃の私は読む前から、そういう風に思っている。ですから、装丁された本が書店に並ぶのを待つ気にはなりません。

 今回の受賞作は三度通読した。その内の一度は、ノンストップで朗読した。休憩を入れずに一気に読んだので、喉が痛くなったけれども、普段より一生懸命に読もうと思ったので、止めなかった。何故そう思ったか、それは、とてもつまらないと感じたから。きちんと向き合えば、少しは面白いはずだと考えたのです。が、努力の甲斐むなしく、面白く無かった。他愛の無い内容だと思った。文章の、リズムの心地良さや巧みさといったモノも、特には感じなかった。

 前回の受賞作である絲山秋子の「沖で待つ」も、文芸春秋で読んで済ませた。受賞作は大して面白くはなかったけど、心地の良い文章だなあと、上手だなあと思った。で、他の作品も読んでみたいと思い、何冊かを手にした。その内のいくつかは面白かった。いくら受賞作がつまらなくても、こういうことであれば、まあ、頷けますよね。さて、伊藤たかみの場合、どうであろうか・・・。

 伊藤たかみの他の作品を、私はまだ読んでいない。「ミカ!」も「ぎぶそん」も手にしていない。もしかしたら、他の作品は面白いのかも知れませんね。必ず読みます。書店で手に入る氏の作品は、全て読むつもり。楽しめる作品であることを願っている。だって、今回の受賞作は、あまりにもつまらなかったから。石原慎太郎が「またしても不毛」と言っていたけど、「またしても」でしょうか。「不毛、ここに極まれり」くらい言って欲しかった。

 村上春樹は芥川賞を獲れなかった。獲れなかったと言うより、逆に氏から見切りをつけられた格好。選考委員は、与えるタイミングを逃してしまった。フランツ・カフカ賞を受賞した氏が「ノーベル文学賞」を獲る可能性は充分にあるでしょう。もし受賞したならば、其のとき文壇は、日本文学界は何を思うのだろう。

 金原ひとみ・綿矢りさのダブル受賞、モブ・ノリオの受賞・・・。村上春樹は受賞できなかった。これで、本当に良いのかな。読者は疑問に思うのじゃないかな。

 今期は「該当作品なし」で良かったのじゃないかな。

 ここ十年ほどの受賞作家を思い起こすと、あくまでも小生の趣味に限った話しだが、花村萬月(「ゲルマニウムの夜」は傑作)、奥泉光、平野啓一、玄侑宗久くらいしか思い浮かばない。彼らくらいしか、買ってみようとか、次回作が楽しみだと思わせる作家は居なかった。

 こうして振り返ると、村上春樹が受賞していないという現実が、さらに際立ちますね。こんな事なら「風の歌を聴け」に与えておけば、良かったじゃない。一作目で受賞することは、特別では無いでしょう。TVや雑誌等で皆さんお馴染みの村上龍も、一作目の「限りなく透明に近いブルー」で受賞しています。

 ちなみに、私は村上春樹ファンと言うわけではありません。ですが、昨今の受賞者を見渡すと、氏が受賞していない事実に、ファンならずとも首を傾げたくなります。元ミュージシャン、年端のいかない女流作家、「八月の路上に捨てる」・・・。どうなんだろう、この状況。どうなるんだろう、日本の文学界。

 文芸は、"文の芸"、です。文のエンターテインメントです。小説は全て高尚な芸術で、難しいモノと思っている者も少なく無いようだが、それは誤解でしょう。つい先頃まで、携帯やネットはおろか、テレビも、ゲームも無かったのですよ。銀幕のスターが活躍するよりも昔、テレビ、映画、漫画のようなエンターテインメントに代わる娯楽は何であったと想像されますか・・・。小説は、活字はもっとも身近な娯楽だったのです。そんなに大昔の話ではありませんよ。

 エンターテインメント小説のライバルは音楽であり、お笑いであり、漫画、映画、TVゲーム、携帯、ネット他、諸々です。そういった類のモノ、それらのモノを手に取るより、「続きが読みたいなぁ」と思わせねばならない。そうでないと、どんなに芸術性が高かろうが、素晴らしい内容であろうが、当世においては、駄目です。よほど素晴らしい内容であるなら、後世に語り継がれる事はあるかも知れませんけど。

 かつ、小説は楽しいだけでは、売れるだけでは良くない。挿絵の入った子ども向けの文学は別かも知れないが、それでも単なる娯楽では良くない。そもそも、楽しいだけならこのご時世、他にいくらでも選択肢がありますから、小説なんて手に取らないでしょう。そこには、他のエンターテインメントとは違う何か、文学の本髄が必要である事は、言わずもがな。

 今はどういう状況かと考えますと、まずは売るために必死、出版業界が、背に腹はかえられないと、売ろう売ろうと、生き残りをかけているように思います。文学にかかわる万事において、そういった調子だと言っては言い過ぎか。

 「文章読本」というモノがありますね。文章の書き方を教えてくれる本です。谷崎潤一郎、三島由紀夫、井上ひさしなど著名な大作家が、懇切丁寧に教えてくれている。書き方はまちまちで、教えも各々の個性により異なるわけですが、当然ながら大変に勉強になる。それを自分に活かせるかはともかく、学ぶべき事はたくさんあるし、読み物としても大変に面白い。ところが、今時分にそういった本を探すとしたら、どういった本がありますか。何冊か読んだ事がありますが、単なるHowTo本、マニュアル本ばかりが目に付く。万事、そういった調子なのです。

 こういった時代に文章読本を書くなら、小説家より、藤原正彦のような方が相応しいのではないかな。何故なら当世、表現がどうとか、文体がどうとかと言う時代では、もはやございません。小生も含めて、日本語自体を、よく分かっていない。「てにをは」の使い方とか、そんなハイレベルな問題以前に、基礎的な事が分からない。一つ一つの語彙に関する理解すら曖昧だ。

 仲間内でのスラングが増えた事も手伝って、知らぬ者同士のコミュニケーションが、いよいよ難しくなっている。それは、学生さんだけの話ではありませんね。職場でも、そう感じる事は少なく無い。大和民族同士なのに、互いの言葉が通じなくなってきている。私はギャル、私はヒッキー、ニート、ウツ、エリート、癒し系と、際限なくセグメントを繰り返し、仲間内でしか通じないスラングで、微妙なニュアンスの違いを表現する。他者に関しては、徹底して排他的だ。言葉が通じないので、取り付く島が無い。言葉のキャッチボールはせず、一方的に直球をぶつけ合う。もしくは傍観、無視、ダンマリを決め込む。

 どんなに時間がかかろうとも、根底から構築し直せねば小説は売れないし、たとえ売れても読まれないと思う。だって、「ちょーうぜ」、「つーか、ありえなくね?」、「ちょやべー」、「マジ、きもっ」なんて言葉だけじゃ、論理は深みに達し得ないでしょう。今はダイレクトな刺激が溢れていて、音楽すら、あまりに抽象的であったり、芸術性が高いと理解されない。エロかっこ良い方が売れるのです。直接に性欲、視覚などを刺激する。彼らはいま笑えるか、いま気持ち良いか、いま感じるか、「ウケる」かをひたすらに考えているように見える。

 そういう意味では、音楽家も音楽ファンも、踏ん張らないといけない。侵食され尽くしてしまわぬように文化を継承せねば、大袈裟に言うと音楽も性的遊戯も変わらなくなってしまう。そういった事は、いかなるエンターテインメントに於いても言えると思う。例えばダンス。レゲエダンスって何ですか、あれ・・・。多くのエンターテインメントは性的魅力も含有していますが、"侵食され尽くして"しまうと、これは極論だが、行き着くところ「食う寝るヤル」しか残らない。創造性、芸術性、人間性を失ってしまったら、生理的欲求との境目が薄れゆく。

 つまりは、私のような音楽愛好家にとっても、近頃の風潮は他人事では無いわけです。エロかっこ良いが、エロになって、終いにはそちらがメインで楽器はお飾りなんて事になったら、それはもう音楽じゃなくて、どちらかと言えば性的遊戯の範疇に属するように思います(性的サービスのようなものか)。

 しかし現実には、音楽に関してそこまで酷い状況は想像できない。が、小説は、文学は、国語は、本当にマズいんじゃないかな。本当に深刻で、危機的状況でしょう。

 小生のように、嘆くだけなら誰にでもできますね。建設的な話をするために、一つでも具体策を挙げろと言われたら困ります。八方塞りだなと感じる・・・。月並み、かつ抽象的な意見でありますが、やはりどんなに時間がかかろうとも、回り道であろうとも、「国語」からやり直すしか無いと思います。日本語を母国語とする者同士で、言葉が通じない。致命的だ。恐怖すら感じる。

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こんにちは、サニーさん!

『沖で待つ』は大して好きでは無いと書きましたが、絲山秋子は好きです。
私のPCは"いとやま"とタイプするだけで、"絲山秋子"と変換されます。
ネットに公開されている彼女の日記も読んでいます。

山田詠美の文章は苦手です。
選評として掲載されている短い文でさえ、不快に感じます。

"ただのミーハーのたわ言ですが"、
"って、どなたか解っちゃいますね"、
"なんてさー"、
"ねらってなんぼだよなー"、
"そうだよなー"、・・・。

選評欄は、彼女のブログやコラム欄ではありませんから、
もう少し気を遣っては頂けないものかと、毎々思っています。

肝心の、"何をどう評価したのか"は、いつも数行しか書いていない。

1935年の芥川・直木賞宣言から70年に及ぶ歴史。
その重みを、彼女は少しでも感じているのだろうか・・・。

追伸
音楽の趣味に共通点がある事に、
コメントした後で気が付きましたっ。

おいらも林檎、大好きです!今では亀田も浮雲も。

こんにちは、コメントありがとうございました。
私も、近年の芥川賞受賞作には共感しづらいなと感じています。
『沖で待つ』は好きでしたが。
受賞作が発表される毎に刺激を受け、
ハードカバーのページを繰っていた中高生の頃が懐かしいです。

ただ、自分と相容れないものを否定するほど
自分の審美眼を妄信できない私は、
作品との出会いもまたフィーリングと思っています。
自分と波長が合うか否か。
マジョリティに認められるものでも、
自分と合わなければ共感は出来ないですよね。
なので、「芥川賞受賞作=一読に値する」の公式が崩れたというよりは、
最近の芥川賞の傾向は、私には合い難いのかなと感じています。
そもそも審査員に入っている山田詠美さんの作品を
私はおもしろいと感じたことがないのです。
フィーリングが合う方が難しい…?

ちなみに私、村上春樹は長年のファンです。
ファンゆえに、彼が芥川賞をとったら…
微妙な気持ちになるんでしょうね。

追伸
林檎ちゃんも大ファンです。
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